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名声は誰の手に?
-オープンソースコミュニティからの知見

World Golf Hall of Fame, St. Augustine, Florida
World Golf Hall of Fame, St. Augustine, Florida / danperry.com

いわゆるネット業界からPR業界に入って、昨今のソーシャルメディアマーケティングブームを見てみると、かつて「ハッカー」たちがオープンソースに魅了され、文化が花開いて行った歴史と非常に良く似た点があることに気づく。

一応説明をしておくと、「オープンソース」とは一定の権利を保持した上でプログラムを全て公開する概念のこと。有名なものではOSのLinuxや、目につくところでは、Firefoxや、スマートフォンのAndroidなんかもそうだ。(“Android au”なんてCMやってるけど、Androidは初めてマスレベルで普及したオープンソースプロジェクトじゃないか…なんて言ったら怒られるのかな。)

その最も大切な類似点は、「外部性を内部化する」ということであり、本来はただの消費者だった人たちを巻き込み、プロジェクト(ソーシャルメディアマーケティングの場合は、Twitterアカウントだったり、Facebookページだったり、キャンペーンそのものだったりする)の価値を向上させることだ。例えば電話やYahooオークションのように、参加者が多ければ多いほど全員が得をする仕組み。

キャンペーンそのものが、拡大するモメンタムを持つものだから、従来のマスメディアを活用したやり方とは本質的にダイナミズムが異なる。
だからこそ、「いかにしてそのコミュニティは拡大するか」というモメンタムにこそ注目すべきなのに、最初から「何人にリーチした!」とか「問い合わせに答えない!」とか、従来の方法論の延長線上で語ってしまうのは、ソーシャルメディアの可能性を矮小化することになりかねない。(別にそれはそれで良いのだけど。)

もうひとつは、「クリエイター」(括弧付き)の性というか、今までコンテンツを作ってきたからなのか、やっぱり「自分が何を発信するか」に議論が収斂しがちであることだ。例えば「キュレーター」。提唱する佐々木俊尚氏も指摘するように、ソーシャルメディアがなくても成立する概念だ。

もし、ソーシャルメディアを活用したマーケティングによって、(マスメディアのニッチを突くことを狙うのではなく)従来のマスメディアを凌駕するほどの成功を目指すのであれば、「オープンソース運動」から学べることは、たくさんあるはず。

さて、休暇中にオープンソースに関係するものを読もうと、改めて有名な論文=エリック・レイモンドによって書かれたオープンソースのソフトウェア開発に関する4部作を読んでいた。

論文は、1998年に書かれたもので、私の大好きな翻訳家のひとり、山形浩生氏が自信のサイトでPDFなど各種フォーマットにて公開している。

エリック・レイモンド オープンソースの解剖学四部作
第 1 部 「伽藍とバザール」
第 2 部 「ノウアスフィアの開墾」
第 3 部 「魔法のおなべ」

どれも短い論文で、ITの専門用語は読み飛ばしても十分面白い。
その中で、最も面白いと思ったのは第2部「ノウアスフィアの開墾」だった。

下記、概要の一部を抜粋する。

ぼくたちはオープンソースソフトの所有権とコントロールをめぐる実際の慣習を検討する。そこで明らかになったのは、そうした慣習の根底にあるのが、ロックの土地保有に関する理論と類似した、所有権の理論であるということだ。これと関連づけるかたちで、ハッカー文化を「贈与文化」として分析する。つまりそこの参加者たちは時間とエネルギーと創造性をあげてしまうことで、名声を競うわけだ。さらにこの分析が、ハッカー文化における紛争解決にとってどのような意味を持つかを検討し、いくつかの処方箋的な示唆を得るものとする。

ソーシャルメディアマーケティングにおいても、「所有」の問題はいつもつきまとう。例えば、Facebookページに寄せられたコメントは誰のものか。Facebookでは同一ページにコメントが蓄積される仕組みなので、一見ページオーナーのもののようにも見える。では、Twitterの「Reply」はどうなのかー。(以前、食べログがアプリの機能の一部を有料化して炎上したことがあった。)

この論文で面白いポイントは、「所有」の問題を、イギリスの政治哲学者、ジョン・ロックが言うところの「土地所有」に当てはめた点にあり、また、オープンソースコミュニティを存続させるための原則を「贈与経済にある」としたことだ。

 
人間が持つ組織化のほとんどの方法は、希少性と欲求に対する適応行動だ。それぞれの方法は、社会的地位を獲得する別々の手段を持っている。

 一番簡単な方法は 上意下達方式(command hierarchy)だ。上意下達方式では、稀少な財の配分は一つの中央権力が行って、それが軍事力でバックアップされる。上意下達方式は、規模の変化への適応力(スケーラビリティ)がものすごくとぼしい[Mal]。大きくなるにつれて、ますます横暴で非効率になってゆく。このため、大家族以上の上意下達方式はほぼかならずといっていいほど、別のかたちのもっと大きな経済に寄生する存在でしかない。上意下達方式では、社会的地位はおもに恐喝力へのアクセス能力によって決まってくる。

ぼくたちの社会はもっぱら交換経済だ。これは財の希少性に対する洗練された適応方式で、規模の変化にもよく適応する。稀少な財の配分は、交換と自発的な協力によって非中心的に行われる(そして実は、競争の欲望がもたらす最大の効果は協力行動を生み出すことだ)。交換経済では、社会的地位はおもにもの(必ずしも物質的なものとは限らない)のコントロールの大小で決まる。

 ほとんどの人は、この二つについては説明されるまでもなく精神的なモデルを持っているし、それらがどう相互に機能するかもわかっている。政府や軍、ギャング集団などは、ぼくたちが「自由市場」とよぶもっと大きな交換経済に寄生している上意下達システムだ。しかしながら、このどちらともまったくちがっていて、人類学者たち以外はあまり認知されていない第三のモデルがあるんだ。これが贈与の文化だ。

 贈与文化は、希少性ではなく過剰への適応だ。それは生存に不可欠な財について、物質的な欠乏があまり起きない社会で生じる。穏和な気候と豊富な食料を持った経済圏の原住民の間には、贈与経済が見られる。ぼくたち自身の社会でも、一部の層では観察される。たとえばショービジネスや大金持ちの間でだ。

 過剰は上意下達関係を維持困難にして、交換による関係をほとんど無意味なゲームにしてしまう。贈与の文化では、社会的なステータスはその人がなにをコントロールしているかではなく、その人がなにをあげてしまうかで決まる。(強調は引用者)
(6 贈与経済としてのハッカー文化)

これをソーシャルメディアに当てはめてみると、我々が好きなブランドや著名人などのアカウントにコメントしたり「いいね!」を付けまくるのかは、「贈与の文化」に根ざした行動なのではないか、考えることができる。

また、「贈与の文化」でのインセンティブは、「名声」だそうだ。(他にもあるだろう)
例えば、オバマは前回のキャンペーン中、その支持者を何度も、ブログに登場させ、しまいにはランチまで誘っている。「名声」の威力を十分に分かっていたんだろう。(しかもランチ一回なんて法外に低コストだ。)

してみれば、日本に限らず世界のソーシャルメディアマーケティングで、「名声」を分け与えるための仕組みが何とも乏しいものであることに気づく。
もしかしたら、ここが成功のヒントになるかも知れない。(日本の場合は少し”奥ゆかしく”やらなければダメだろうけど。)

誰か、最もコメントを残したり、有益な情報をリプライしたり、友達に紹介した人を「紹介」したり「評価」する事例があれば、是非教えてください。

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Posted By nshoji

One Response to “名声は誰の手に?
-オープンソースコミュニティからの知見”

  1. ブログ更新! "名声は誰の手に?-オープンソースコミュニティからの知見" http://bit.ly/moP7Uk

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