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Twitterが「分からない」のは何故? 3/3

Social Media (というかTwitter)を「身体論」で無理やり語る企画、これまでのおさらい。

Twitterが「分からない」のは何故?1/3
Twitterが「分からない」のは何故?2/3

・ラジオ登場時、「噺家」がマイクを前に語れず「アナウンサー」という新しい「身体性」を持った人が登場

・テレビ登場時、漫才師がカメラを前に漫才ができず、コメディアンは「コント」という新しい身体性を身につける

・インターネットでも「新しい身体性」が出てくるのではないか?

・例えば、検索結果画面でも「ブランディング」を感じるのは新し身体性?

・Twitterは理屈では分からない(体で捉えるもの→身体性)

・USTREAMやFastweet Liveなど、情熱を可視化する系のツールはどうか

さて、先日AMNさんのブロガーイベントにいったときのこと。(やっと記事書きました・・・)
“好奇心を呼び覚ます不思議な球体「dot port」”と言って、直径2mくらいの球状のスクリーンにカラフルな模様とテキストが表示されるというものだった。


実演ではマイクの音声を解析していたが、実際にはTwitterからの入力も可能で、色んな人がつながることが真の狙いだと説明を受けた。

さいとうさん「好奇心を集めたい。賛同を集めたい。dot portは好奇心の港。好奇心をビジュアライズ。」 #dot_port 8:15 PM Mar 18th via Echofon

Twitterの「ツ」の字も知らない人でも、言葉さえ発することができればコミュニケーションが取れる。
そしてこの奇抜なデザインも、歩く人の引くには十分だ。(実際にイベントは六本木ヒルズの人通りの多いロビーで行われた。)それでも、カラフルで、幻想的な形をしているからか、決して不快なものではない。
言ってしまえば、これはTwitterにはまる人と全く興味がない人の間の「デバイド」を埋める可能性を探ってみたプロジェクトなのではないだろうか。実際に体で感じるには十分なインパクトだった・・・ソーシャルストリームに身をゆだねるという行為をこんな形で具体化するなんて。

さて、このプロジェクトをSONYがやっているということで、昔読んだある記事を思い出した。(少し長いけど引用)

ウォークマン誕生前夜の二人の熱い技術者の息遣いが伝わってくるような描写ですが、ここで私が注目するのは冒頭の「他人に迷惑のかからないように」という部分です。初代ウォークマンは1979年に登場しました。70年代のその当時は、音楽を持ち歩くというコンセプトの黎明期、ラジカセがその道具でした。重さが5kg近くあるような巨大なデッキが流行りで、竹の子族みたいな連中が代々木のホコ天にたむろしてガンガン鳴らすというのが先端モードの時代でした。「大音響で周りに迷惑をかけて自己主張する若者」という文脈でいえば、暴走族などと同じ流れを汲むものといえるでしょうか。そんな時代背景から出てきた「周りに迷惑を…」という言葉は、特に意識しないで自然に出てきたものだったのかもしれません。

地球を一周したら変わっていた

しかし敢えて私はこの言葉にこだわりたいと思うのです。ご存じの通り、ウォークマンは空前のヒット商品となりました。電子機器を身につけて音楽を持ち歩くという未来的な姿が世界中の若者の心を捉えたのです。その斬新な魅力を言葉で表現してみれば、自分と電子機器とを一体化させて周りに見せるという被写体意識のサイバーパンクな感覚ということになるのでしょうか。とにもかくにもそれはアッという間に世界中に波及し、市場を制覇し、ソニーのブランドを強烈に焼き付けました。

そのウォークマンですが、世界一周旅行を終えて帰ってくる頃には、商品コンセプトが微妙に変化し、「屋外で周りの騒音に邪魔されずに自分の音楽を楽しめる」装置になっていたのです。微妙な変化と申し上げましたが、ある意味180度正反対のコンセプトの装置です。「周りに迷惑をかけない装置」という動機づけから生まれたはずの装置が、「周りから迷惑をかけられない装置」に成り下がっていたのです。  Tech-on! ウォークマンと柔道が失ったもの

「周りに迷惑をかけない装置」

ほとんどのマーケティング・メッセージが購買者その人のベネフィットを謳っているのに対して、ウォークマンの開発者の思いは、購買者の善意に訴えかけようとしたものだったという洞察を読んで、衝撃を受けたのを思い出した。

翻って自らの言動を顧みると、Social Mediaの素晴らしさや可能性ばかりに目を奪われて、「そもそも意味が分からない」人のことはほとんど考えたことがなかった。

でも、Social Mediaが真の意味で革命的な意味を持つのは、それこそ携帯電話並、いやそれ以上に普及しなければいけないし、そのためには「そもそも意味がわからない」という人をいかに巻き込むかという視点が鍵になる。

実際にcomScoreの最新のデータを見ると、SNS普及率は42.3%でアジア・パシフィックで最も低く、日本で最も普及しているmixiでさえ、18.9%で最下位。 あらゆる関係においてコミュニケーションのハブとなりつつあるFacebook文化圏と比べるとその差は歴然だ。(もっとも携帯からのアクセスが考慮されていないし、日本は母数となるインターネット普及率が高いから単純比較はできない)

こんな状況では、いくらSocial Media Marketingといっても、社会に大きな影響力を及ぼすにはまだまだ時間がかかる。

だとすれば、「デバイドを克服するための身体性」は重要な視点にならないだろうか?

そもそもの「迷惑をかけない」というコンセプトに、ソニーらしさ、いえ、日本らしい道具観というものの最も大事な魂の部分を感じるのです。なにか人工の道具を新たにこしらえることによって、人と人の関係性を円滑にする方向を目指すのか、それとも逆に人と人の間の関係性を引き裂くようなものを作るのか。この点に関して前者を強く意識するのが日本風であり、そこに対するナチュラルな感度が非常に高かったのが井深さんであり盛田さんであった、というのが私なりのソニー風というものの理解です。Tech-on! ウォークマンと柔道が失ったもの

確かにiPhoneやiPadは思いも寄らないデバイスで、斬新な「身体性」をもってテクノロジーを身近なものにしてくれましたが、「人と人の関係性を円滑にする」ために、(贔屓目に見ても実用的とはとても言えないけど)SONYの「dot port」みたいに、思いも寄らない発明がもっとあってもいいですよね?(きっと直ぐ生まれると思うけど)

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Posted By nshoji

One Response to “Twitterが「分からない」のは何故? 3/3”

  1. (続き)前向きな可能性の一つが「身体性」にあると思った。N対Nのやりとりの可能性を、理屈ではなく、体で感じた方が効果的では、例えば、こんなアプローチもあるんだ 「人と人の関係性を円滑にする方向を目指す技術」 http://bit.ly/9iSqEl もっとこの可能性を追求したい

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