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Twitterが「分からない」のは何故? 1/3


Body Parts / geoftheref

昨日、TBS 文化系トークラジオ Lifeを聞いていたら(正確にはサイマル中継されたUSTREAMを見ていた)、最後に非常に興味深い話があった。新しいテクノロジーが生み出したメディアと、「身体性」の議論だった。

ここでいう「身体性」とは、「言葉では説明できない、体が反応する感覚」とでも言えば良いだろうか。
(社会学的・哲学的な定義は諸説あるようだが、ここではとりあえず上記の意味で使っている)

例えば、「ラジオ」というテクノロジーが世の中に誕生したとき、「話しのプロは誰だ?」ということで、最初に「噺家」さん達に声がかかったらしい。

しかし、お客さんを目の前に話すのと、マイクの前に話すのではどうも調子が違う。お客さんの反応が得られない状況だと、恐らくいつものように話すことが難しくなるのだろう。

そうこうしていると、「アナウンサー」という全く新しい「身体性」を持った人たちが登場する。お客さんがいなくても、「マイク」という無機質なものの前でも上手く話すことができる人たちだ。

「テレビ」というテクノロジーが誕生したときも同じようなことが起こった。例えば、舞台の漫才から「コント」という全く新しい「文法」が生まれ、出演者はお客さんではなく「カメラ」を身体として捉えて表現することが求められた。

ラジオでの話なので正確ではないにせよ、大体このようなことを言っていたと思う。そして話は新しいメディアの身体性の可能性を追求する流れに行った。

PRや広告などのコミュニケーションに当てはめてみても、同じようなことが言えるかも知れない。

PRの仕事を一言で書くのは難しく、「戦争広告代理店」に書かれているような国家間のプロパガンダ戦争から、日々のメディア・クリッピングまで様々だが、いつもその中心にあるのは所謂トラディショナル・メディアだった。
ジャーナリストとの関係構築が基礎中の基礎となり、PR会社や広報部に配属された新人は、そこから始めると思う。

そういう作業を続けていると、(誤解を恐れずにラディカルに書くと)「新聞至上主義」のような「身体性」が出来始める。(これがもう役に立たないとか使えないとか間違っているとかという話ではない。)

「身体性」というからには「体が反応する」もので、新しい商品やクライアントの仕事をするときは「まず新聞の露出をチェック」する「身体」になっている。(繰り返すが、それが不必要という訳ではない。自分も必ずやる。)

ただ、その意味を問い直す人はあまりいないし、新人も殊更にそのことを疑問に思う人はいない。

ところで、Digital化の動きは誰の目にも明らかではある。
ラジオでは、

「炎上していることを”おいしい”と感じるのが新しい”身体性”」

などの極端な例を挙げていたが、それはそれとして、もっと身近な「新しい身体性」の兆しはあるのだろうと思う。

例えば、AMNの徳力さんが日経ネットマーケティングに寄稿されている記事の中で、「面的SEO」について書かれているものがあった。非常に分かりやすくて興味深い記事なので、詳細は本文を読んでいただくとして、強引に一文にしてしまうと

検索エンジンの検索結果では、PR活動などによって獲得したニュース記事やブログ記事もユーザーは影響を受けるのだから、自社サイトだけでなく第三者の記事も併せて「面的」に考えよう。

だと思う。
ところで、この施策に対する「効果」というか、「意味」については、検証するまでもなく理解できるだろうか
インターネットユーザーであれば(インターネットに長い時間を使っている人であれば特に)、

ネットやっていて、検索したときにサイトがきちんと上位表示されていて、他にも1ページ目に好意的なニュース記事やブログが並んでいれば、印象はポジティブだろうな

というのは考えなくても分かるというか、体で理解できる感じがする。これが、ネット的な「身体性」なのだと思う。

(もっとも、記事中ではもう少し丁寧な考察が加えられている。)

マス広告のような認知を広げることができる手法とは根本的に異なる点は注意が必要です。ただ、そもそも製品の購入を検討している人の選択肢に入らなければ、勝負になりませんから、特定の製品の選択肢を探している人に対しては意外に影響力のある行為になります。 メディアやブログと連携させて“面的SEO”に取り組む

もう少しラディカルな部分に行くと、最近企業導入の研究が盛んな「Twitter」で、企業アカウントを運用する際、つぶやき一つひとつに対して「上司の承認」を求めることを発想する場合がある。

これも、元々は「プレスリリース」という、情報の「正確性」こそ価値であるような手段が、「身体性」として身についている場合に起こる反応であると思う。

そもそも140文字で、またリアルタイムという性格から、不正確さがある程度許容される(それよりも誠実性が求められる)メディアであることを説明すれば伝わるはずなのであるが、それでも感覚として「分からない」と言われることは多々ある。

もし、プレスリリースの感覚でTwitterをやっていたとしても、「マイクの前の噺家」と同じように、上手くいかないだろう。(それでも、数は少なくなるものの「噺家」が消えてなくなる訳ではない。)

これこそ、「メディア」と「身体性」の持つ根深い問題なのかも知れない。
(最も、「体で覚える」からこそ、実際に使ってみることが一番早かったりする)

(続く)

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Posted By nshoji

8 Responses to “Twitterが「分からない」のは何故? 1/3”

  1. ソーシャルメディアの「身体性」、興味深い議論です。 RT @nshoji Twitterが「分からない」のは何故? http://bit.ly/apnodd

  2. Taku Kotabe より:

    RT @IHayato: ソーシャルメディアの「身体性」、興味深い議論です。 RT @nshoji Twitterが「分からない」のは何故? http://bit.ly/apnodd

  3. Hiroshi Hori より:

    炎上が美味しいと感じる。なるほど。 RT @tauk: RT @IHayato: ソーシャルメディアの「身体性」、興味深い議論です。 RT @nshoji Twitterが「分からない」のは何故? http://bit.ly/apnodd

  4. まさお より:

    RT @IHayato: ソーシャルメディアの「身体性」、興味深い議論です。 RT @nshoji Twitterが「分からない」のは何故? http://bit.ly/apnodd

  5. 斉藤裕加 より:

    旧メディアは常に外部からやってくるものだったけど、ネットは自分と外部の境界が曖昧、身体に食い込んでくるので、これまでの変化とはレイヤーが異なるようなhttp://bit.ly/98lTxIと併せて読むともっとおもろいす @IHayato http://bit.ly/apnodd

  6. […] 昨日のブログで、「Twitterが分からない」原因を、その「身体性」にあると書いた。 […]

  7. […] Twitterが「分からない」のは何故?1/3 Twitterが「分からない」のは何故?2/3 […]

  8. zonoise より:

    マイクに向かって喋れる身体性 アナウンサーの登場 元ネタはlife954だったっぽい。いつの回のかは不明だけど。 http://bit.ly/d0emtD

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